走れ走れ走れ
弱っているときのアイドルソングは麻薬だ(映画『モテキ』より)とはよく言ったもので、最近アイドルソングばかり聞いている。
朝用意をしながらライブDVDを流し、通勤では全アルバムをシャッフルして聞き、帰ってきてからはまたDVDというように、ひたすらにアイドルソングを聞いて現実からの逃避を試みている。
ちょっと自分でもおかしいのではないかと思うのだけれど、よく考えればこれがわたしなのかもしれない。なんていうか、原点回帰。
思い返せば高校生の頃は部活と勉強以外の全時間と全お金をアイドルに注いでいた。つらくなったらDVDを見て、雑誌を買い、出演番組を録画編集しDVDが擦り切れるんじゃないか、っていうくらい見た。年に数回コンサートに行くことだけを楽しみにし、チケットの当落ひとつで泣いたり笑ったりしていた。
いや、ちがう。高校生のころからと言ったが、訂正。
中学生の頃からだった。
ただ、中学生のころはもうちょっと趣味が分散していたのとお金がなかったのとで、そこまで生きる中心ではなかったような気がする。
どっちにせよ、上記のような時間の消費の仕方をして人生の大半を過ごしてきた。
いまもその状態に戻っただけではないのかと。これがニュートラルじゃないかと。
ジャニーズを生きる根幹に据えてきたわけだけれど、この間、大学時代の知り合いに「ジャニヲタだったとは知らなかった」と言われた。
まぁ大学のときはそんなに好きではなかったし、他にやることもいっぱいあったから、当たり前といえば当たり前なのだけれど、これはそもそもにわたしがあまりこの事実を公開したくない*1ということがある。
事実、こんなにジャニーズ中心に生きていたのに、高校時代の半分くらいまでは誰にも言わずに過ごしていた。
こう思うようになった理由は二つあって、まず、わりと本気でヲタクだったこと。
その辺のヒエラルキー頂点の可愛い子たちがキャピキャピと「ジャニーズってかっこいいよねー」って言うのとはわけがちがう。
同じようにわたしの高校にはアニヲタクラスタというのが存在していて、そこの人たちは大声でキャラの名前を叫び、漫画や同人誌を交換し合い、ほとばしる何かをふりまきまくっていた。*3周りはあからさまに嫌ったり避けたりはしていなかったが、しばし冷たい目線を送っていたと思う。
わたしはせめてもの客観性によって、この冷たい目線を送られないようにしなくてはいけないと、かろうじて理性を保っていた。
そして、この、理性を保てていた理由が、高校から別のところに進んだ中学の親友がわたしに「ジャニヲタであることはひた隠しにして生きろ」と強くすりこんできたことにある。これが二つ目の理由でもある。
中学卒業時、彼女はわたしに「ジャニヲタがばれたら死ぬ」と教えてくれた。そこに迎えるのは社会的な死だということが言いたかったのだろう。
まるで江戸時代のキリスト教だ。実際そこらじゅうに踏み絵は転がっており、彼女のアドバイスのおかげで無事それらをかわすことができていた気もする。
彼女は強い偏見をもってして、わたしがあちら側へ転落することを防ごうとしてくれていた。今思うとほんとひどい言い様である。
そんな中学の親友の教えは意外とわたしの深層心理まで沁み渡っており、正直今でもジャニーズの話をするのは苦手だ。
こんなに書いているけど、面と向かって話を振られたら、全力で話題を変えようとすると思う。
よほど酔っぱらっていないと、「ジャニーズすきなんだ?」って言われても曖昧な笑みでしか返せない。
その瞬間、体が固まり、頭がぐるぐる回り始め、心が警鐘をならす。このままだと、死ぬぞ、と。
そんな感じなので、こんなに書いといてあれですが、わりとジャニーズが好きなひとでなければ、話題、振らないでください、お願いします。
ちなみに中学の親友は、「貯金はいつでもできるのだから、今は好きなものを買うなど、投資につかいなさい」ということも教えてくれた。
この教えにも忠実にしたがって生きているけっかが今この状態。
三つ子の魂100まで。