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アスレチックをしました

秋分の日は生駒山麓公園でアスレチックをした。

結論からいうと、とても怖かった。
ただの丸太を渡るだけであんなにビビるとは思わなかった。ここから落ちて無残な姿をさらすことしか想像できなかった。靴が滑りそのまま真っ逆さまになることが頭をよぎると、そこからはもう進むことができなかった。手を使えないものはしゃがみながらクリアした。少しでも地面と近づいていたかった。そんな感情は初めてだった。

いちばん怖かったのは、ハシゴをよりアスレチックぽくしたやつに登り、反対側からおりてくるというものだった。ハシゴぽいやつの上をよじのぼる、もしくはくぐり抜けるということが怖すぎた。上までいって反対側に体をもっていった瞬間そのまま転げおちるような気がしてどうしようもなかった。体を支えているのは、面というよりもはや線で、その上でそんなにうまく体重移動ができるわけがない。結構高いところまで登ってしまっているので、落ちたら骨くらいは折れるかもしれない。祝日のアスレチックで落ちて骨折とかダサいしひく。
そもそもわたしは運動が苦手だ。敵チームの余裕と味方チームの諦めを一身に背負いながらバレーのサーブをうってきたし、サッカーでわたしがいることがハンデになるのはごく自然のことだった。体育でテニスをすれば頼んでもいないのに先生がマンツーマンでコーチを名乗り出てくれたし、ラジオ体操でさえ最高82点しかとれなかった。体力測定も学年下から2番目。まぁとにかく運動ができない。運動ができない、つまり、自分の思うように体を動かすことができない。(ついでにいうと、球技などではボールがどこに飛んでくるのかわからない。物が動くということを理解できていないのだと思う。)
それでもアスレチックにきてしまったし、ハシゴをアスレチックぽくしたやつには登ってしまった。登ったからには降りなくてはいけない。
自分が登ってきた方を振り返れば、身軽な子どもたちが下で順番を待っている。早くどいてほしい気持ちは痛いほど伝わってくる。ここは大人として前に進むしかなかった。後戻りして、子どもたちと顔をあわせるのはあまりに恥ずかしいことのように思えた。結局、恐怖に打ち勝つのはプライドだ。
紆余曲折上空でもごもごすることで、なんとか反対側の地上に降り立つことができたのは本当によかったと思う。大人としての威厳は保てた。子どもは怖くなったらママを呼べばいいが、大人はそういうわけにはいかない。自力で乗り越えるしかない。そのことを身にしみて感じた。


というのが昨日の話で、今日は肩や肩甲骨や腰や太ももや足首がとてもとても痛かった。普段の階段ですら手すりを持たないと移動できず、まだアスレチックは継続しているのかと思った。
これもきっと大人の証だ。