地球滅亡の日

「明日で地球が滅亡するとしたら、なにして過ごしたい?家族と彼氏とどっちと過ごしたい?」

母親から唐突に意図が分からないメールが届いた。きっと何かを見たか読んだか考えたかで、思いつきでわたしに聞いてみようとしたのだろう。なんとなく、本当に聞きたいのは後半の方だということが透けてみえる。なにを言わせたいのかわからないが、なんとなくゲスい空気を感じる。どう答えたらいいのかもわからない。どの答えでもこっぱずかしい。ので、とりあえず前半の返答を考えてみた。

一番最初に思ったことは、「だらだらしたい」ということだった。自分の家ですきなことをしてすきなようにすごす。この「すきなこと」というのが、基本的にベッドで寝てみたり、DVDを見てみたり、気ままにうたってみたり、本を読んでみたり、そういうことだというのが最近のわたしの傾向だ。指向がどんどんインドアな方向にむいている。あまり良くないことかもしれない。
それでもやはり地球最後の日にそんなにアクティブなことはできないと思う。ボルタリングとか絶対無理だと思う。
結局どこまでも日常の地続きでいたい。できるなら地球滅亡ということは感じずに、気づいたら終わっててほしい。困難からは目をそむける性質があるということか。ただリスクヘッジの観点からいえば、最適ではないか、とも思う。明日地球が滅亡するってそんなふわっとした状況において大胆な行動をとるなんて、もし地球が滅亡しなければどうするのか。派手なことしたあとに明日からも生きていかなければいけないとなったらそれこそ辛いのではないか。ここで大胆かつ滅亡しなくても逆にラッキーみたいな思想ができるひとが本当のアイディアマンだと呼ばれるのだろうか。だとしても、やはり固い道を選んでしまう自分をはっきりと認識した。


ただ、もう少し色がほしいな、とも思った。だらだらする、って夕方くらいにやるせなくなってきそうだ。そのため、夕食くらいはおいしいものを食べたいと思う。少しお高めだけれど確実においしいもの。あぁもう満足だというくらい舌をとろけさせてから滅亡したい。
ただ、ここで問題になってくるのが、そのおいしいものをいったいだれが作ってくれるのだろう、ということだ。明日地球が滅亡するという時に働きたいというひとがどれくらいいるのか私にはわからない。それでもそんなに多くないのではないかと思う。もしかしたらシェフは自分のプライドをかけて最後に最高の料理をつくってくれるかもしれないが、ホールのバイトはきっとそうではないだろう。となると、やはり店が回らなくなるし、だいたいは開店しないだろうな、と思う。中には、完璧なホスピタリティとおもてなしに人生をかけているようなバイトの子もいるかもしれないけれど、たぶんそういうひとはバイトではない。全員正社員で全員が誇り高く働いているようなお店はきっと超高級店で、そうなると一般人のわたしは予約をとることすら難しいだろう。最後においしいものを食べたいだなんて本能的で薄っぺらい願望でさえ、翌日に地球が滅亡するという前提のもとでは叶えることができない可能性が高いのだ。
自分で作れば?という意見もあるだろうが、それには普段からある程度の食材備蓄が必要だし、それ以前にある程度の腕前がないといけない。現実は厳しい。たまたま家にあったお菓子をかみしめながら食べるくらいがせいいっぱいだろうか。たまたま家においしいお菓子を置いておく重要性を実感した。


上記をもう少し簡潔にまとめて母親に返信してみた。
「どういうことかよくわかりません。結局誰とすごしたいの?」ともはや後半にしか興味がないというメールが返ってきた。結構がんばって考えたんだけどな。