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オザケンとアイドル観

いいともフィナーレにむけて、連日卒業パーティーが繰り広げられているようだけれど、とにかく先週の勝手な目玉は「オザケン16年ぶりテレビ出演」だったよね、ということでそのことについて書きますね。

 

 


笑っていいとも! テレフォンショッキング 小沢健二 (2014年3月20日) - YouTube

 

 

当日は仕事だったのでYouTubeにて見たのだけれど、第一印象は、「うわぁオザケンだーーー」ってそりゃそう。ただそう言いたくなるくらい、少なくともわたしにとっては、幻で伝説だったというわけでもある。彼が第一線?で活躍していたときのことは知らないけれど、なんとなくの情報と話を聞いてはいたので、ちょっとどきどきしながら見た。そして案外普通に喋ってるなぁと思った。素直に興味深い話をいろいろして、そんでからあの弾き語り。

独特の空気感と決してうまくはない歌い方だし、年も年で結構ぎょっとする感じだけれど、着目してほしい(おこがましい)のがそのメロディーと詩だったりする。キャッチーでポップで肯定的だけれど、刹那的で冷たい感じもあって、あぁなんかこれってアイドルに似てるかもって思った。その一瞬が輝くことに全力でポジティブなんだけれど、あくまでも偶像で遠くから崇拝することしかできないだなんて切なすぎる、切なすぎるけれどまたそれが良かったりするんだよね、だからどこまでも優しくだからこそ悲しいのがアイドルであるとすると、オザケンの歌詞もそれに似たところがあるような気がする。

 

左へカーブを曲がると光る海が見えてくる

僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも

 

本当はわかってる 2度と戻らない美しい日にいると

そして静かに心は離れてゆくと

 

「さよならなんて云えないよ/小沢健二」より。これ、いいともでも歌われていて、タモさんもかつて絶賛したらしいという曲の歌詞なのだけれど、底抜けに明るいかと言われると決してそうではなくて、そういうのいろいろ含めて、全部わかってるんだけれど、それでもいいじゃん、素敵じゃんっていう感じ。キャッチーでポップな透明感というのは、結局のところ透明なわけで、儚く脆いんだっていうのはまさに偶像じゃないですか。

 

だからわたしがオザケンが好きな理由は、結局そういうアイドルっぽさではないのかなぁと思った。いや、アイドルっぽいとか言ったら怒られるかもしれないんだけれど。というかわりとアイドルだったのかもしれないけれど。こればっかりはそのときの空気感がわからないのでなんとも。

 

まぁとにかく。

アイドルの皆さんも、基本的にはとてもキャッチーでポップでポジティブだし、こちらがびっくりするほどキラキラして正面から楽しいものだけれど、やはりそれって結局「お仕事」なんだよなぁって思う時がよくある。彼(彼女)らにも私生活や感情があって、それ以前にもっと黒いものが渦巻いているんだろうけれど、こちらに対峙するときにはお互いそういうの全てなかったことにして、その瞬間を最高のものにする、っていうのが、まさに「全部わかってるんだけれど、それでもいいじゃん」っていうのと似ている。現実はさみしいけれど優しい。

わたしはアイドルのそういうところがとても好きだ。

無意識にオザケンにもそういうアイドル性を(勝手に)見出していたのかもしれないな。

 

 

 

あと、「語りやすさ」もアイドルっぽいところである。古今東西「アイドル論」はいっぱいあるし、「オザケン論」もいっぱいある。ついでにいうと「タモリ論」も最近盛んですね。「語りやすさ」というか「語りたくなりやすさ」はアイドルに限った話ではないけれど、ある程度の文脈をもって話したくなるものってやっぱりおもしろいんだよなぁ。自分の思いや体験も込めて、ドラマ性をもって話したくなるという事。いいことも悪いことも全部、「とにかく何か一言言いたい」と思わせられるという事。おもしろいストーリーテラーがたくさんいる文化は伝承されやすいとしみじみ思った。

 

 

というわけで、わたしの「オザケン論」はアイドル性ということに収束しそうです。

こうまとめるとすっごい薄っぺらいし反感買いそうな言い回しだな。

まぁいいや。

 

最近アルバムもでました。