JUKE BOX

ご存知の方も多いかもしれないが、わたしはジャニーズが好きだし、昔はいわゆるジャニヲタだった。
その名残でいまも年1、2回はコンサートにいく。
ジャニーズコンサートに欠かせない、そしてジャニーズ特有の文化が「うちわ」である。グッズとしても売っているし、作ったりもするのだけれど、コンサート中にはこれをぶんぶん振って楽しむ。胸より上にあげてはいけないとか、周りにモールをつけてはいけないとか、大きすぎてはいけないから入り口で大きさチェックがあったりとか、応援グッズとしてだけではなく、文化的な文脈を語る上でも外せないのがジャニーズにおけるうちわなのだ。


上記のように、ジャニーズのコンサートというかジャニーズにうちわは欠かせない。カレーライスにおけるカレーとライス。あんぱんにおける餡とパン。そういう存在なので、どうしてもコンサートにはうちわを持っていかないと落ち着かない。


ただ、いかんせん、こいつは、ほんとに、でかい。


でかい、というか、どうしても、どうがんばっても、柄の部分がかばんから出る。


会場まで着いてしまえば、あちらこちらで柄の部分が見えたお姉様がいるので、特に気にならないのだけれど、日常からは明らかに浮きまくっている。
うちわをかばんの中や持ってる人なんてある人種(=ジャニヲタ)以外いないのだ。わたしはジャニーズが好きですよっていうことをアピールしながら歩いているのと同義。したくもないアピールをして、それになんの意味があるんだろうか。


行きの公共交通機関の中で柄が出ている人と一緒になったときは最悪だ。
お互いがお互いの柄を確認したのち静かに目を逸らす。相手は仲間でありライバルだ。親しみもあるけれど、やはり気恥ずかしさが募る。隠しきれない高揚感が相手から伝わり、その妙な浮遊感はまるで自分を見ているよう。
というかそもそも車内にジャニヲタが複数人いるっていうだけで、その他の人から嘲笑わられている気持ちになる。生きててすいません、気分は太宰治、いますぐこの柄をおってしまいたい…



いまわたしは関ジャニ∞のコンサートにいくために名古屋に向かっている。正確にいうと、名古屋に向かう前に寄る三重に向かっているバスの中だ。
そして通路を挟んだ向こうには同じようにうちわの柄がでたお姉さんが座っている。さっきからお互いチラチラと様子を伺っているが、決して目を合わせようとしない関係。


わたしのうちわはもう毎回手作りする気概もないので、高3のとき本気で作ったやつを少しずつ修繕しながらずっと使っているやつで、数々の思い出がつまっているやつだ。愛着も十分に湧き切っている。


それだけれど、いま全力で、このうちわの柄を折りたい。



楽しんできます。