引っ越しーずハイ

ここ最近は毎日毎日様々な手続きをしたり書類を書いたりしている。入社と退社と入居と退去にまつわるタスクが大量にあって、それを確実に遅れないように片づけながらも、取捨選択をおこない、様々な判断をくだしていかなくてはいけない。もはや働いている場合ではないのではないかとすら思える。
作業が進み、少しずつ物事が片付いてくるにつれて、だんだんこれも楽しくなってくるから不思議。楽しいというのは少し違うか、なんというか、あぁわたし生きてる…!っていう気持ちになる。着実に前進しているという達成感と、今のところトラブルなく進められているという自己肯定感がはんぱない。ひとつひとつマスを塗っていくって気持ちいいんだなぁとしみじみしている。思えば3年前に引越したときは、もうなにもできていなかった。引越し後3日間ほどはガスが使えなかったし、3カ月くらいはもう使っていないプロバイダの料金を払っていた。その頃のことを思うと、本当に大人になったと思う。
目の前のことをクリアしていく快感って恐らくゲームで得られるものに近いんだと思う。よく「勉強もゲームのようにクリアしていく感覚で」「就活もゲームの一種だ」みたいなことが言われるけれど、いままであまりピンとこなかった。それが、今はよくわかる。これかと。引越し手続きは、ゲームだ。
ゲーム化するとモチベーションがあがるらしい。というかモチベーションをあげるためにゲーム化するらしい。ということは、モチベーションをあげる意義(モチベーションをあげるためのモチベーション???)が感じられないものはゲーム化するのも難しいのかもしれない。モチベーションをあげる意義を感じる(というかモチベーションをあげる)ためには、広い意味で自分のためになると感じられるか、他人のためになると感じられるか、もしくはやらなくては死ぬという切羽詰まった状況に置かれるか、しかない気がする。どれにも当てはまらないことは、どうゲーム化して楽しもうと思ったところでそれは無理なのだ。わたしの場合でいうと、勉強は、自分のためということがわかりやすかったのでゲーム化云々の前にモチベーションをあげる意義をあまり感じなかった。就活は、とにかく働きたくなかったので、どうがんばってもモチベーションがあがらなかった。かろうじて、やらなきゃ死ぬ・・・のかもしれない・・・社会的に・・・と思えたので就職したけど、まぁモチベーションが高い状況ではなかった。今回の、様々な手続きは、やはりやらなきゃ家と仕事がなくなり死ぬ上に人に怒られそうなので、モチベーションをあげる意義はわりとはっきりしていた。だからこそゲーム化によってさらにモチベーションがあがったのだろう。ゲームしようと思ってゲーム化したわけではないけれど、次第にそういう気持ちになっていった。無意識的にゲーム化するということもあるんだなぁと思った。
まぁだからなんだという話であり、教訓にするには薄っぺらいし解決策はなにもないけれど、自分の中でひとつ腑に落ちたので書いてみた。

伝われ~~~~~~~~~~~~~~~~