退職エントリを書きます

ついに、退職エントリを書くときがやってきた。
新卒で入社した会社をまるっと3年で退社することにした。入社してから会社の業績がどんどん傾いていったのには驚いたけれど、勤務時間は短く、有給もとりやすい。そういう意味ではホワイト企業だったと思う。給料は少ないけれど。そんな会社を3月末で辞めることにした。


退職エントリってことで何を書こうか。思想丸出しの自分語りをしようかと思ったけど、それもめんどくさいのでやめておく。前職(現職)のことは、業界が限られてくるのと、その業界に特化した仕事をしていたので、なんとなく怖い。今の仕部署は入社10ヶ月で配属された。すごくざっくりと言うと、データを集計したり分析したりする仕事だった。データを集計したり分析したりする作業はとても苦手で、最後までしっくりこなかった。数字をまとめたり離したり混ぜたりして意味を見いだすことがこんなにもできないと思わなかった。正直自分から何かを発信できたことは無かったし、人の意見や考えを、「なるほど」と受け止めるだけの日々だったので、本当に向いていなかったんだと思う。こんなに自分ができないと思わなかったくらい、どうしたらいいのかがわからなかった。もっと貪欲に何かを得ようとすればどうにかなったのかもしれないけれど、そのモチベーションもあげることができなかった。つくづく自分の頭の悪さを呪った2年だった。


そして、これはおそらくわたしに問題があるのだけれど、最初から最後まで会社のことをすきになれなかったのは残念だった。あの会社に勤めていることが自分の中で腑に落ちないまま3年がすぎてしまった。入社式で「あ、辞めたい」と思ったのを今でも覚えている。それでも続けて来れたのは、やはりホワイト企業だったということが大きい。ぬるま湯から抜け出すのはなかなか難しいのだ。

 

まぁそんな感じ。退職というか転職について書いてみようと思う。
たいしたスキルも情熱もない、ツテもコネもない、就職活動は苦手だった本当に普通の人の転職活動がどのようなものかをまとめてみたい。


本格的に転職活動を始めたのは去年の12月だった。エージェントに出向き、希望を伝えると、大量の求人を紹介してもらった。大量の求人の中から自分が応募したいと思えたのが2社しかなくて、会社で働くということに絶望を感じた。100%納得いく企業なんてないですよって言うのはわかっていたけれど、もうちょっと納得いく企業があると思った。世の中の厳しさを憂いてちょっと泣いた。
とりあえずその2社と、他に自分で探して3社書類を出した。結果、2社は書類選考を通過し、面接にすすんだ。有給をとったり、仮病を使ったりしながら、面接を受けた。余談だが、仮病を使ったのは人生で2回目で、1回目は高校の模試を抜け出して関ジャニ∞のコンサートに行ったときだ。こんな形で2回目を迎えるとも思わなかったけど、迫真の演技はその後1週間くらい体調を心配されるくらいのものであった。良心の呵責という言葉が頭をついてまわった。そこまでしたのに、2社とも面接で落ちた。1社は東京まで受けにいったので、あのときの苦労が…と思うと結構つらかったが、交通費を支給してくれると聞くとそのつらい気持ちも90%くらい回復したので、ゲンキンなもんだ。
年末に1社また応募をしてみたが、面接が決まったとたんめんどくさくなり、辞退。
その後もう1社応募してみて、こちらは面接まではいったけれど、雰囲気と仕事内容がすきになれず辞退。この辺は辞退の鬼だった。
その後1月中旬頃にもう1社応募。1次面接を受けたのが1月末、最終面接を受けたのが2月の頭、その2日後には内定のお知らせがきたので、なんとまぁスピーディーなこと、と驚いた。業種も、社員の人も、特段嫌な感じはなかったので、そのまま入社を決めた。

 

ざっくりとそんな感じ。だいたい1〜2ヶ月程度で活動を終える人が多いらしので、わりと平均的だったのだと思う。転職活動に使った有給は3日。早退が2回。わたしの仕事はぬるいのでこんなことも可能だったが、忙しい人や遠隔地での転職を考えている人はいったいどうするんだろう。正直、わりとシビアに面接の枠や時間が決められているな、と思っていたが、言えば土日や夜に移動してもらえたのだろうか。また、エージェントを利用することで、こまごまとした手続きなどをしてくれるのはよかったが、もらえる情報はあたっていたりあたっていなかったり、だった。「面接官は厳しめの40代の男の人です」て言われても、実際30半ばの女の人だった、みたいな。なにも情報がないよりはよかったと思うが、正確度は30点くらいの印象だった。ことあるごとに「二人三脚でいきましょう」というメールを送ってくるエージェントだった。人によっては、エージェントが面接日程をまとめてくれたりすることもあるらしいが、わたしはそもそも数を出していないのと、落ちたら次、という風に応募していたので、その辺の恩恵はあまり受けなかった。


次の仕事は、まさかの営業マンだ。わたしのことを知っている人は、本当に、「まじで?」って思うだろう。わたしが一番思っている。どちらかというとコミュ力が無い方なのに営業とか大丈夫なのか。やってみないとわからないが、できる限りがんばってみたいと思うし、そう思えることはよかったと思う。3年間忘れていた気持ちを思い出した気がする。勤務時間も大幅に増えるらしい。これもやってみないとわからないけれど、もともと仕事したかったから、それはそれでいいということにしている。この辺はまだ言い聞かせの部分もでかい。社畜としての腹をくくるときなんだろう。
喜びや安堵より不安が大きいのは、ほぼ初めて自分で考えて選択したことだからかもしれない。大学入学も、就職も、ひとと同じタイミングで、ひとと同じようなことをおこない、その結果得られたものをそのまま享受してきた。今回も、3年というベタな時期のうえ、結局は外的要因によって決めたところが大きいが、初めて、数ある選択肢とタイミングから、自らが選び取ったという気がしている。今までやったことがないから不安になるのは当たり前かな。自分がどう考えどう感じるかも観察していけたらおもしろいかなぁとは思っている。


ひとつ、悲しいことは、京都を離れることだ。
京都のすばらしさは何度も言語化しようと試みたし実際おこなってきたが、あまりうまくいっていない。京都そのものより、それにまつわる経験や思い出がすきだからかもしれない。だからこそ、この3年間もずーっと学生の延長みたいな気持ちだった。名残惜しさや離れがたさはつのるばかりだけれど、そろそろ卒業しなくてはいけないんだろうな。

 

結局自分語りに終始してしまった。
今後ともよろしくお願いいたします。