vol.27

なにかを考察してみたいと思っている。なんかかっこいいし、賢いっぽいし、興味深いし、趣きあるし、いいなって思った。けれどなにを考察したらいいのかが思い浮かばなかった。いっつもそうだ。してみたいことをの外側には興味を持つのだけれど、肝心の中身がうまらない。なにかつくりたい、なにか書きたいといいながら、その”なにか”が思い浮かばないことがよくある。ミーハーだから、動機が軽率なのだ。ていうかそもそも考察ってなんだ。考えて察するってなんだ。辞書によると、「物事を明らかにするために、よく調べて考えをめぐらすこと」らしい。感想とは違うらしい。どうやら大切なのは「物事を明らかにする」という部分らしい。つまり、明らかにしたいものが必要と言うわけだ。もはや明らかにしたいものを考えなくてはいけない。こうなると考察をするための考察が必要になってくる。そうするとそのための考察がまた必要になって、最終的にはバターになってしまう恐れすらある。
妄想もしてみたいと思っている。これはちょっと語弊がある。妄想をしたことがないということではない。というか毎日妄想と想像のお花畑で生きているようなもんだ。でもそれのうち何割をきちんと文にして出せるだろうか。そんなどぎついことばっかり考えているわけではないよ。でも文にしたときにきちんと形になる妄想というのがどれくらいあるだろうか、という話。一応こちらも辞書で調べてみたら「1-根拠もなくあれこれと想像すること。2-とらわれの心によって、真実でないものを真実であると誤って考えること。3-根拠のないありえない内容であるにもかかわらず確信を持ち、事実や論理によって訂正することができない主観的な信念」ということだった。なんかどれもこれも痛い。妄想ってありえないんだって。知ってた。知ってるけど思いおこすのが妄想で、それはやはり辞書の意味から寸分違わずなんだけれど、でもなんかつらい。妄想の意味を知ることで現実を突きつけられるなんてアイロニカル。
なんとなく、世の面白いものは、感想が考察になったり、妄想が付随している気がする。というか、わたしが面白いなと思うもの。出発点はあくまでも感想で思いで考えでないといけないわけで、なにもないところからは芽がでないんだな、って当たり前っぽいけれど意外と忘れがちなことを思っていたりする。感想というか感情というか、そういうことをきちんと把握する必要があるんだ。っていつのまにこんなにポエティックになっていったのか。こんなはずじゃなかったんだけど。
感情と言えば最近読んだ『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題/ジェーン・スー』より。

 

さみしくて傷ついた時にそれを認識しないでいると、嬉しくて飛び上がりたい時の感情も、可愛いものや美しいものを見て幸せになった気持ちも、感動で心が揺さぶられた時の気持ちも、だんだん表に出せなくなってきます。すると、正当な感情として表に出せるのは、「美味しい!」とか「むかつく!」ぐらいになってしまう。

 

 

いや~~~~~~~泣いた泣いた。
美味しいとむかつくしか言えない人生でごめんなさい。誰にごめんなさいってわたしにごめんなさいだよ。
ますます話の終着点がみえなくなっていったのでこの辺で終わろう。はーもうなにがなにやらよくわかんないな。今週ひまだったのにあんまり記憶ないしな。たまにはそんなこともあるかな。木曜だし。

 

あ、最後に、感想、考察、妄想のベースに体験があると尚良し、ですな。