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vol.9


これは何かときかれたから、金曜日をじわじわと噛みしめるものだよ、と答えた。山かと言われたけれど、山ではない。ムーミンがカバではないのと同じだ。


最近思うのは、木曜の夜は多幸感が溢れているということ。1番テンションがあがるのは金夜だ。けれど、休みのスタートはすなわち休みの終わりへ向かってのスタートだとすれば、必ずしも金夜が幸せだというわけでもないと思う。開放感と達成感による高揚はあれど、溢れるような幸せがあるかと言われると、微妙だ。それはそれでいいものではあるが。


わかりやすく木曜の夜から嬉しくなって、金曜の夜にそれがマックスになり、あとはだんだん下り坂、月曜の憂鬱ったらこの上ない、というのは、勝手にこっちが曜日に色をつけてるんだな、って思う。平日は長いのに土日は一瞬だというのも同様。曜日はあくまでも曜日だし、時間も均等に流れているはずで、それに一喜一憂するのはこっちの問題なのではないか。ということは、こっちがなんとかすれば、曜日による気分のムラはなくなるのではないか。わたしはムラなく安定した状態がすきだ。そう思い、2週間くらい曜日のことを忘れて生活してみることにした。カレンダーや手帳も曜日の記載は消した。日付だけを頭にいれて、ただ毎日を淡々と生きてみた。結果は、これがなかなかむずかしかった。わたし以外のひとは曜日を意識して生活しているし、カレンダー通りに働く社会人だし、それ以前に日付基準で日程や予定を考えたり計算したりするのが大変だった。1ヶ月30日をそのまま丸暗記しなくてはいけない。翌週の日曜の予定ではなく、11/1の予定を思い出すのは、時間と労力がかかるんだな、ということがわかった。当たり前だが規則がないものを覚えるのはむずかしいということもわかった。そしてそもそも曜日のことを完全に忘れるというのがかなりむずかしかった。



こんな感じで曜日との付き合いはまだ試行錯誤中だ。それでもいろいろと試してみることで、最適解が見つかるのではないかと思っている。