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月末考察

ギリギリでいつも生きていたいでおなじみの月末がやってきている。正確にはいつもギリギリだけどちゃんと生きてはいたい月末。好きこのんでギリギリになりたいわけじゃないんだよう、というわけで、なんでこんなに毎度毎度月末は苦しいのかを考えてみた。


一応念のため言っておくと、ギリギリってあれです、つまりね、給料日前だからいろいろ辛い、というあれです。大の大人が、しかも女性で、こんなこと言うのははしたないとおばあちゃんあたりに怒られそうだな。と思いながら書く。おばあちゃんごめん。


考えられるのは、単純にやはり無駄遣いが多いのではないか、ということなのだろうけれど、ここが少し難しいところで、わたしは「無駄遣い」というものがよくわからない。お金を支払って対価を得るという行為のどこに無駄が発生するのかがいまひとつ理解できないのだ。だって、買う食べ物は食べたいものだし、買う飲み物は飲みたいものだし、行く場所は行きたいところだし、買うものは欲しいものだ。もちろんどれかを削ったりすることは可能だし、行かなくていいカフェとか買わなくていいお菓子はあると思う。でも数百円で得られる時間や安らぎは人生において無駄と呼ぶにはあまりにもったいない。それならば行かなくていい飲み会を削りたい。
さすがに飛行機間違えたとか財布を落としたとかは無駄だったな、とは思うけれど、それはもうアクシデントだからわたしがどうこうできるあれではない。し、落とした財布に入っていたお金はもったいないけれど、かわりにかった財布代は財布買えてよかったな、という感じなので、あまり無駄と思えないというか、まぁ後悔はしてますけど、でもなんというか、まぁそれはそれでいいか、という気がしているのも事実。


たぶんどこまでも消費に前向きなんだと思う。


家計簿もつけられないのもきっとそういう理由からだ。もちろん節制するための家計簿だということはわかっているけれど、残高が減って行くことはすなわちもう使っちゃだめですよって言われていることで、この前向きな消費を否定されるのがつらくてやめてしまう。素直な欲望が真っ当な理論で潰されていくのはやはり耐え難いところがある。


なんだろ、バブル世代なのかな。


わかってる、わかってるよ、ただただわがままなだけだと。全てを手に入れたいひとりっこゆとりの性質ではないかと。属性のせいにしてみたけれどしょせんそれは逃げでしかなく、あとはこれで経済もまわるさって開き直ることしかできないのに、経済まわるまえに自分の首がまわらなくなるってお後がよろしいようで。


毎月毎月織田裕二に思いを馳せるのももう終わりにしたい。