何もかも忘れられないよ

ついに今日をもって京都を離れる。離れることが決まってから、うじうじしたりうきうきしたりしながら過ごした約2ヶ月が終わろうとしている。引っ越し作業もなんとかうまくいき、生活する上での不便や不安なことはとりあえずなさそうに思える。とりあえずの達成感としては100点満点だ。

 

 

それでもやはり、さみしさがすごい。
わたしが固執していたものは「京都」ではなく「京都に住むこと」であったのだと改めて思い知らされる。京都に住みたくて大学を選んだ。なんとなくでも志望校を決めたのは高1になってすぐの模試だったはず。かれこれ10年の時が過ぎようとしている。あのときから続いているわたしの京都物語が今終わろうとしているのだから、それはそれは壮大なことだ。
京都に遊びにくることは簡単なのだ。5000円ちょいかけて1時間弱電車に揺られれば、京都タワーの麓につけるのだ。桜だって紅葉だってふらっと見に来ることだってできる。日帰りも大丈夫。

それでもやはり、さみしさがすごい。
もう京都に住むことはできないと思うと悲しい。ふらーっと思い立って自転車でいろんなとこに行ってみたり、鴨川でぼーっとしてみたり、木屋町で騒いでみたり。西にも東にも北にも南にも、すきなところがいっぱいあった。あぁ泣いちゃう。
碁盤の目を踏みしめながら、空を見上げては、あぁ京都に住んでるんだなぁって実感していた日々が終わる。詩的でちょっときもいだろうか。でもそれくらい、わたしは京都に住むということに愛着をもっていたのだ。

 

と、同時に、京都を卒業できる安堵というものもある。
京都が大好きで大好きで住めて本当に嬉しくて最高だったけれど、ここで一生を過ごすことはあまりイメージができなかった。ぼんやりと、いつかは出て行くんだろうと思っていた。京都を出て行く人を眺めながら、優越感と同時に焦りを感じていたのも事実。わたしはいつまでもここから抜けられず、学生時代やその他のキラキラをひきずり、空想の中で大きくしながら生きていくんだろうかって思っていた。
本当はもう現実を見つめなくては行けなかったのに、いつまでも現実ではない京都の中にふわふわと浸かっている感じがした。

 

京都のことを考えるとどうしてもポエティックになってしまうな。
それこそが京都と適切な距離感で関われていないことの象徴なのかもしれない。とても幸せだけれど不安定だ。
これからはもう少し客観的に京都と付き合っていける。やはりさみしいけれど、健全で安定している。

 

 

お世話になりました。

引っ越しーずハイ

ここ最近は毎日毎日様々な手続きをしたり書類を書いたりしている。入社と退社と入居と退去にまつわるタスクが大量にあって、それを確実に遅れないように片づけながらも、取捨選択をおこない、様々な判断をくだしていかなくてはいけない。もはや働いている場合ではないのではないかとすら思える。
作業が進み、少しずつ物事が片付いてくるにつれて、だんだんこれも楽しくなってくるから不思議。楽しいというのは少し違うか、なんというか、あぁわたし生きてる…!っていう気持ちになる。着実に前進しているという達成感と、今のところトラブルなく進められているという自己肯定感がはんぱない。ひとつひとつマスを塗っていくって気持ちいいんだなぁとしみじみしている。思えば3年前に引越したときは、もうなにもできていなかった。引越し後3日間ほどはガスが使えなかったし、3カ月くらいはもう使っていないプロバイダの料金を払っていた。その頃のことを思うと、本当に大人になったと思う。
目の前のことをクリアしていく快感って恐らくゲームで得られるものに近いんだと思う。よく「勉強もゲームのようにクリアしていく感覚で」「就活もゲームの一種だ」みたいなことが言われるけれど、いままであまりピンとこなかった。それが、今はよくわかる。これかと。引越し手続きは、ゲームだ。
ゲーム化するとモチベーションがあがるらしい。というかモチベーションをあげるためにゲーム化するらしい。ということは、モチベーションをあげる意義(モチベーションをあげるためのモチベーション???)が感じられないものはゲーム化するのも難しいのかもしれない。モチベーションをあげる意義を感じる(というかモチベーションをあげる)ためには、広い意味で自分のためになると感じられるか、他人のためになると感じられるか、もしくはやらなくては死ぬという切羽詰まった状況に置かれるか、しかない気がする。どれにも当てはまらないことは、どうゲーム化して楽しもうと思ったところでそれは無理なのだ。わたしの場合でいうと、勉強は、自分のためということがわかりやすかったのでゲーム化云々の前にモチベーションをあげる意義をあまり感じなかった。就活は、とにかく働きたくなかったので、どうがんばってもモチベーションがあがらなかった。かろうじて、やらなきゃ死ぬ・・・のかもしれない・・・社会的に・・・と思えたので就職したけど、まぁモチベーションが高い状況ではなかった。今回の、様々な手続きは、やはりやらなきゃ家と仕事がなくなり死ぬ上に人に怒られそうなので、モチベーションをあげる意義はわりとはっきりしていた。だからこそゲーム化によってさらにモチベーションがあがったのだろう。ゲームしようと思ってゲーム化したわけではないけれど、次第にそういう気持ちになっていった。無意識的にゲーム化するということもあるんだなぁと思った。
まぁだからなんだという話であり、教訓にするには薄っぺらいし解決策はなにもないけれど、自分の中でひとつ腑に落ちたので書いてみた。

伝われ~~~~~~~~~~~~~~~~

退職エントリを書きます

ついに、退職エントリを書くときがやってきた。
新卒で入社した会社をまるっと3年で退社することにした。入社してから会社の業績がどんどん傾いていったのには驚いたけれど、勤務時間は短く、有給もとりやすい。そういう意味ではホワイト企業だったと思う。給料は少ないけれど。そんな会社を3月末で辞めることにした。


退職エントリってことで何を書こうか。思想丸出しの自分語りをしようかと思ったけど、それもめんどくさいのでやめておく。前職(現職)のことは、業界が限られてくるのと、その業界に特化した仕事をしていたので、なんとなく怖い。今の仕部署は入社10ヶ月で配属された。すごくざっくりと言うと、データを集計したり分析したりする仕事だった。データを集計したり分析したりする作業はとても苦手で、最後までしっくりこなかった。数字をまとめたり離したり混ぜたりして意味を見いだすことがこんなにもできないと思わなかった。正直自分から何かを発信できたことは無かったし、人の意見や考えを、「なるほど」と受け止めるだけの日々だったので、本当に向いていなかったんだと思う。こんなに自分ができないと思わなかったくらい、どうしたらいいのかがわからなかった。もっと貪欲に何かを得ようとすればどうにかなったのかもしれないけれど、そのモチベーションもあげることができなかった。つくづく自分の頭の悪さを呪った2年だった。


そして、これはおそらくわたしに問題があるのだけれど、最初から最後まで会社のことをすきになれなかったのは残念だった。あの会社に勤めていることが自分の中で腑に落ちないまま3年がすぎてしまった。入社式で「あ、辞めたい」と思ったのを今でも覚えている。それでも続けて来れたのは、やはりホワイト企業だったということが大きい。ぬるま湯から抜け出すのはなかなか難しいのだ。

 

まぁそんな感じ。退職というか転職について書いてみようと思う。
たいしたスキルも情熱もない、ツテもコネもない、就職活動は苦手だった本当に普通の人の転職活動がどのようなものかをまとめてみたい。


本格的に転職活動を始めたのは去年の12月だった。エージェントに出向き、希望を伝えると、大量の求人を紹介してもらった。大量の求人の中から自分が応募したいと思えたのが2社しかなくて、会社で働くということに絶望を感じた。100%納得いく企業なんてないですよって言うのはわかっていたけれど、もうちょっと納得いく企業があると思った。世の中の厳しさを憂いてちょっと泣いた。
とりあえずその2社と、他に自分で探して3社書類を出した。結果、2社は書類選考を通過し、面接にすすんだ。有給をとったり、仮病を使ったりしながら、面接を受けた。余談だが、仮病を使ったのは人生で2回目で、1回目は高校の模試を抜け出して関ジャニ∞のコンサートに行ったときだ。こんな形で2回目を迎えるとも思わなかったけど、迫真の演技はその後1週間くらい体調を心配されるくらいのものであった。良心の呵責という言葉が頭をついてまわった。そこまでしたのに、2社とも面接で落ちた。1社は東京まで受けにいったので、あのときの苦労が…と思うと結構つらかったが、交通費を支給してくれると聞くとそのつらい気持ちも90%くらい回復したので、ゲンキンなもんだ。
年末に1社また応募をしてみたが、面接が決まったとたんめんどくさくなり、辞退。
その後もう1社応募してみて、こちらは面接まではいったけれど、雰囲気と仕事内容がすきになれず辞退。この辺は辞退の鬼だった。
その後1月中旬頃にもう1社応募。1次面接を受けたのが1月末、最終面接を受けたのが2月の頭、その2日後には内定のお知らせがきたので、なんとまぁスピーディーなこと、と驚いた。業種も、社員の人も、特段嫌な感じはなかったので、そのまま入社を決めた。

 

ざっくりとそんな感じ。だいたい1〜2ヶ月程度で活動を終える人が多いらしので、わりと平均的だったのだと思う。転職活動に使った有給は3日。早退が2回。わたしの仕事はぬるいのでこんなことも可能だったが、忙しい人や遠隔地での転職を考えている人はいったいどうするんだろう。正直、わりとシビアに面接の枠や時間が決められているな、と思っていたが、言えば土日や夜に移動してもらえたのだろうか。また、エージェントを利用することで、こまごまとした手続きなどをしてくれるのはよかったが、もらえる情報はあたっていたりあたっていなかったり、だった。「面接官は厳しめの40代の男の人です」て言われても、実際30半ばの女の人だった、みたいな。なにも情報がないよりはよかったと思うが、正確度は30点くらいの印象だった。ことあるごとに「二人三脚でいきましょう」というメールを送ってくるエージェントだった。人によっては、エージェントが面接日程をまとめてくれたりすることもあるらしいが、わたしはそもそも数を出していないのと、落ちたら次、という風に応募していたので、その辺の恩恵はあまり受けなかった。


次の仕事は、まさかの営業マンだ。わたしのことを知っている人は、本当に、「まじで?」って思うだろう。わたしが一番思っている。どちらかというとコミュ力が無い方なのに営業とか大丈夫なのか。やってみないとわからないが、できる限りがんばってみたいと思うし、そう思えることはよかったと思う。3年間忘れていた気持ちを思い出した気がする。勤務時間も大幅に増えるらしい。これもやってみないとわからないけれど、もともと仕事したかったから、それはそれでいいということにしている。この辺はまだ言い聞かせの部分もでかい。社畜としての腹をくくるときなんだろう。
喜びや安堵より不安が大きいのは、ほぼ初めて自分で考えて選択したことだからかもしれない。大学入学も、就職も、ひとと同じタイミングで、ひとと同じようなことをおこない、その結果得られたものをそのまま享受してきた。今回も、3年というベタな時期のうえ、結局は外的要因によって決めたところが大きいが、初めて、数ある選択肢とタイミングから、自らが選び取ったという気がしている。今までやったことがないから不安になるのは当たり前かな。自分がどう考えどう感じるかも観察していけたらおもしろいかなぁとは思っている。


ひとつ、悲しいことは、京都を離れることだ。
京都のすばらしさは何度も言語化しようと試みたし実際おこなってきたが、あまりうまくいっていない。京都そのものより、それにまつわる経験や思い出がすきだからかもしれない。だからこそ、この3年間もずーっと学生の延長みたいな気持ちだった。名残惜しさや離れがたさはつのるばかりだけれど、そろそろ卒業しなくてはいけないんだろうな。

 

結局自分語りに終始してしまった。
今後ともよろしくお願いいたします。

なんでも妖怪のせいなのではないかということについて

 妖怪ウォッチブームということで巷ではなんでも妖怪のせいにする子どもが増えているらしい。

 

大人気「妖怪ウォッチ」が子どもの脳に与える“意外な影響”とは? | All About News Dig(オールアバウト ニュースディグ)
妖怪ウォッチ「何でも妖怪のせい」は良いこと?悪いこと?を心理学的に解説(碓井真史) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

ピーマンが食べられたことですら妖怪のせいだと言われてしまえば、身の回りにおこることが全て妖怪のせいだと思っても(そういうことにしても)、責めることはできないのではないかと思う。


ところでわたしの仕事は、とあるプログラムを動かしてデータを集計するというようなものだ。今日は同僚から、とても簡単な、ほんとうに簡単なデータ集計の依頼をうけた。データを集計して表にまとめてファイルをつくって、長く見積もっても1時間もあれば終わるだろうと思い、作業にとりかかった。ふんふんと鼻歌まじりでファイルを作成し、確認。なにかがおかしい。どうも結果がずれている。どこか間違えたかなぁ?と思い、再度やりなおし、修正。ファイルをチェック。結果をチェック。やはりなにかがおかしい。間違えようがないくらい簡単なプログラムだ。もしかしたら元のファイルに不具合があるのだろうか。もう一度調べてみるも、元のファイルにも変なところはなさそうだった。やはりこちらの問題か。時期がおかしいのか、読み込みが変なのか、設定が変なのか。
いよいよわからない。すでに2時間が経過している。他にやらなくてはいけないこともある。なぜ。なにが違うのか。
そこで気づいた。


もしかして、これ、妖怪のせいなのでは?

 

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思わず書いてた↑

 

きっとそうだ。とんでもなくネットを使う人70代ばかりが抽出されるのもきっと妖怪のせいだ。データの中身が美容院だらけなのも妖怪のせいだ。人々の情報が塗り替えられたようにちぐはぐなのも妖怪のせいだ。妖怪データちぐはぐのせいだ。そう思えばすべてがうまく行く。とんちんかんなことは妖怪のせいだったんだ。
わたしはそれに気づいたんだ。そうか。妖怪のせいだったんだなぁ。そういうことだったんだなぁ。なんとなくほっこりして、一息ついた。一息ついて、考えた。


で、それでどうしようか。


データがわけわかんなくなって数字が全然あわないのが妖怪のせいというところまではよいとして、そのわけがわからなくなったデータをなおすのは妖怪ではなくわたしなのだ。これがわたしのプログラムのミスだとか、抽出時期の間違いだとか、元データの狂いとかならば、それを修正すればいいものの、妖怪データちぐはぐによってちぐはぐにされたデータを修正する術をわたしは知らない。妖怪ウォッチをみたら修正方法も教えてくれるのだろうか。なんだか妖怪と友達になるといいらしいという噂は聞いたが、それはこの場合も適用されるのだろうか。2015年の目標「友達をつくる」をこんなところで発揮しなければいけないとは思わなかった。人と友達になりたいのに妖怪と友達になっている場合ではないし、人ともあまり友達になれないのに、妖怪なんてますます無理だ。
マネージャーに「妖怪のせいでデータがあわないんです」って言ったらどんな顔されるかな。きょとん、とはされるだろうな。もういいから早く帰れって言われるかな。明日からもわたしのデスクちゃんと存在するかな。社会人として、原因を妖怪に求めるのあまりにリスキーだと思うと、途方に暮れた。
もしこの世の中のいろいろが妖怪のせいだったとしたら、それは本当に困るということに気づいた。とくに社会人は、妖怪のせいでおかしなことがおきたら、どうすることもできない。なんせ不景気にも増税にも打ち勝たなくてはいけないのだ。妖怪に屈している場合ではないのだ。妖怪のせいなんで、っていって、はいそうですかと納得してくれる上司はいない。わけがわかることなら対処のしようがある。妖怪は対処のしようがない。わたしのせいではないが、妖怪のせいではある場合、責任をとるのは妖怪ではなくわたしなのだ。こうなったら妖怪コンサルが出てくるのを待つしか無い。妖怪のせいでどうにかなったものを、うまく軌道修正してくれるのが妖怪コンサル。妖怪は日本にしかとりあえずいないだろうから、強いのは日系妖怪コンサルだろうか。リクルート出身の社長が作る妖怪コンサルベンチャーがスタートアップでバリューをあげたりするんだろうか。結局強いものが勝つ世の中なんだろうか。

そんなことを考えながら必死でミスを確認した。どうか妖怪のせいではありませんように。わたしのしょうもないミスでありますように。しょうもないミスを祈ったのは初めてだ。それでも妖怪のせいであるよりは100倍マシだ。

願いかなって、プログラムに、小さなミスがあるのを発見したとき、思わず飛び跳ねるかと思った。しょうもないミスでよかった。妖怪のせいじゃなくてよかった。これを修正すれば全てはうまくいくんだ。自分が掌握できる範囲に原因があってよかった。本当によかった。プログラムは嘘をつかないんだって任天堂の岩田さんも言ってた。もっと岩田さん信じればよかった。任天堂も妖怪ウォッチに「プログラムは嘘つかない」って注意書き入れといてくれ。
「妖怪のーせいなのねーそうなのね!」「でもプログラムは嘘つかない!」
これ。これがあるとないとでは世界が全然違う。任天堂が言わないのなら、再度わたしが大きな声で言っておく。

 

プログラムは嘘つかない!

 

 

お疲れさまでした。 

 

あけましておめでとうございます。

年が明けましたね。今年はジャニーズカウントダウンのテレビ放送がなかったため年が明けないかと思ったけど、CDTVで木村兄さんが「ハピニューイヤー」って言ったので無事年が明けた。よかったー。ほんとどうやって年越せばいいのかわかんないなーって思っていたからね。当たり前だと思ってたものって結構簡単になくなる。心に刻んでおく。
とにかくそんなこんなで年が明けたので、2014年の振り返りと2015年の抱負を述べてみたい。まず、2014年の振り返り、というか、目標に対してどの程度達成できたかを確認してみる。PDCAのCの部分ですね。2014年の目標は、

 

  • 他にはなにか楽しいことみつけたい。
  • せっかく公開したので、ブログの更新頻度を上げる。
  • 吐くまで飲まない、飲み過ぎたら吐くを目標に楽しくお酒を飲む。
  • とりあえず部屋を片付ける。
  • 顔のテカリを抑える。
  • ほどよく節約する。

 

だったようだ。
なにか楽しいことみつけたい。2014年は見事にジャニーズに出戻った年だったので、そういう意味では楽しいことはみつけたかもしれないが、きっとそういう意味じゃない気がする。
ブログの更新頻度については、毎日更新したときもあったし、わりと頑張ったし楽しかった。あと一応冊子にしてみた。誰にもあげたことない。無差別に配るつもりだったんだけど、実際チキって無理だった。誰かもらってください。
吐くまでは飲んでない、気がする。忘れているだけか。二日酔いでつらすぎたのは1日だけだった気がする。
部屋は片付いているときも片付いていないときもある。
顔のテカリは抑えられてない。いろいろ試してるんだけど。つらい。
ほどよく節約なんてできなかった。毎月綱渡りが染み付いてしまっている。
ざっくりとこんな感じだった。達成度40%というところか。それでは続いて2015年の抱負。目標。

 

  • 友達をつくる
  • 過去の栄光にすがらない
  • 髪を伸ばす
  • めんどくさがらない


一発目から暗い。これは現友達に失礼かもしれないが、現友達が嫌だとか不満だとかそういうわけではなく、現実的に高頻度に面会し、その度あーおもしろかったな!って思える女友達がほしいな、という願望のようなものだ。完全にジェーンスーの影響。基本的に、誰かを誘うくらいなら1人でいっかと思ってしまうわけだけど、それもあんまりよくないよね、コミュニケーション能力がね、、ということで、今年はもう少しちゃんと他人と関わっていこうと思っている。
過去の栄光にすがらないということは、今の自分にできることできないことを謙虚に見つめていこうという話。過去、“わたしだったもの”は、年末の大掃除でぜんぶ捨てたよー!
髪も伸ばしてる。頑張ってる。たぶんこの1年が堪えどき。こうしたら早く伸びるよってことがあれば教えてください。わたしが知ってるのは、夜9:00にひっぱると伸びる。
最後。なにやるにもまず「めんどくさいな」って言ってしまうの、これもよくないよね。。。人としてね。。修正していこう。目標を設定しながらなんかへこんできたわ。

 

とにかくそんな感じでやっていきたい所存です。相変わらずざっくりとした目標。思ったけど、「今年はこうしたい」というより「今年はこうします」って言う方がかっこいいね。来年はそうなるよう心がけます。めぇー。

2014まとめ

毎年恒例になっている、というか毎年恒例にしている今年のベスト○○を発表したいと思う年の瀬。昨日の夜と今日の午前中で大掃除は一応終えて紅白まで暇になったので、さっそく2014年を締めくくっていきたい。大掃除では過去の栄光をゴミ袋8袋ほど捨てました。

 

 

【ベストアルバム】Mr.S /SMAP
SMAPというものが再定義された一年だったと思う。あの27時間テレビのライブは圧巻で帝国の強さを見せつけられた気がした。オーバー40であんなものぶっこまれたらこの先どう生きていけばいいのかわからないよ。
そんなSMAPのアルバム、Mr.S。とにかく制作陣が豪華。単純に名の知れた人ばかり。そりゃあ良曲揃いに決まってますって。特にわたしがお気に入りなのは、ゲスの極み乙女。川谷絵音さん作詞作曲の『好きよ』。切なくてセクシーで、一部では『オレンジ』に次ぐ名曲だとも言われているらしい。ほんとそれくらい良い曲。

 

 

【ベストアクト】伊藤俊吾と佐々木良のふたりバーター旅2014 寒っ/伊藤俊吾・佐々木良
この間のキンモクセイの二人のライブ。詳細は書きました。

キンモクセイのライブとオザケンのDVDビューイングハシゴした日 前編 - にせんねんもんだい

思い入れ補正なんかもあってまぁとにかく楽しかったので今年のベストアクトに。もはや達成感あったからね。長年探していたもの見つけた、って感じだったからね。それでいて、新たな発見もあったからね。行ってよかったです。

 

 

【ベスト映画】ジャージーボーイズ
毎年のことだけれど、わたし、映画観ないんだよなほとんど。今年観たのも3本?とか?だからそもそもこの項目をメンテナンスする必要がある。
それでも、その3本の中から 選ぶならジャージーボーイズ。かっこよかった。かっこいいものは正義だ。来年からもかっこいいものをめいっぱい摂取していこうと心に決めた。
世間的ベスト映画はアナ雪なんだろうか。れりごー。

 

 

【ベスト本】貴様はいつまで女子でいるつもりだ問題/ジェーン・スー
ここ2ヶ月くらいでハマりにハマッているジェーン・スーに出会ったきっかけの一冊。的確すぎて目から鱗。と同時に憧れがすごい。ここに憧れることは勝訴なのか敗訴なのか。そういうのでぐらぐら揺れるのもまた楽しや。なんてったって未婚のプロですから。いいなー楽しそうだなー。
ジェーンスーのことは、最近よくいる女性コラムニスト?ご意見番?論客?岡田育とか雨宮まみとかそういう人たちのなかで一番すきだ。一緒にしていいのかよくわかんないけど。わたしのセグメントが正解なのかよくわかんないけど。
ということで本だけでなくラジオもひたすら聞いている。かれこれ50時間くらい聞いた。実家に帰ってきても聞いてる。親に「なに聞いてんの?」とか言われ、「え、ジェーンスー…」「だれ?なに?」「いや、まぁ、ジェーンスー…」ってなる。説明が難しい。ジェーン・スーの説明難しい。一応コラムニストなのかな。でもなんでこのひとコラムニストのラジオ聴いているんだろう…ってなる気しかしない。だから適当にごまかしてる。それでも聞いてる。ストイックに聞いてる。
『貴様~』は笑いながらサクサク読めるけど、たまにずどーんって射抜かれる感じがたまんないです。

 

こういう1年でした、って思ったけど、ほぼ下半期と言うかここ数か月の話だった。だってそんな前のこと覚えてないよね。がんばって数か月が限度だね。
そんなこんなで年が明けるよーーー!

 

キンモクセイのライブとオザケンのDVDビューイングハシゴした日 後編

前編はこちらから。

 

キンモクセイのライブとオザケンのDVDビューイングハシゴした日 前編 - にせんねんもんだい

 

 

長年すきだったキンモクセイのライブで多幸感を得まくったあと、心斎橋に移動し、オザケンのDVDビューイングに参加した。オザケンのアルバムLIFE発売20周年とスペースシャワーTV開局25周年を記念して今年の8月にスペシャで放送されたものが今度「超LIFE」としてDVD化されるのだが、それを映画館で大音量で見よう、という試みらしい(なんかややこしいな)。会社の同期に誘われてのこのこ参加した。


映像はおもしろかった。どこまでいっても小沢健二の天才っぷりを感じさせられた。登場した瞬間から目が離せない。かわいい顔して繊細でどことなく危うい見た目。シンプルで無駄のない旋律とわかりやすく本質的をついた歌詞。音楽は大衆的なものなのに大衆からは生み出せないものなんだなぁって思った。味わえば味わうほど他に類をみない。明るいのに毒と闇がある。自然なのに圧倒的にすごいから、あぁこれは天才なんだなって深く納得した。とても浅はかな感想だけどね。

 

キンモクセイのライブをみて、物語の取得をやめようと思ったのと反対に、これは物語の共有をせまる映像だった。LIFEの曲順に、その曲のエピソードやまつわる人のインタビューや当時のライブ映像が流れる。小沢くんはこういう人だった、こういう風にレコーディングをした、こういうところをこだわって作った。小沢健二とその時代の物語をみんなで楽しんでいる。すごく嬉しそうにインタビューに答え、オザケンとのエピソードを語る。それをこちらも楽しく見る。映像側(オザケン周り)も、観客側(オザケンファン)も各々がもつオザケンの物語、もしくは同時に存在する自分の物語を、この超LIFEを通して感じるイベントだな、って思った。オザケンのカリスマ性がなせる技なんだろう。

 

こういうときに悲しいのは、その時代・物語を体感していないことだ。オザケンを史実でしか知らないため、どうがんばってもにわかの枠を抜け出すことができない。サブカルもオリーブも肌感覚としていまいちつかめない。こんなにおもしろそうなのにいつまでたっても一線を越えることができないのだ。20年経っても熱量が衰えないってどういうことなんだっていうこと、当時の空気感、いまでは絶対味わえないから、指をくわえて見ているしかない感じがある。確実に存在するのは「小沢くん」と呼べる人と呼べない人の差。

でも、それだけじゃない気がする。単に知らないからつまんなーいっていうだけではないこの気持ち。悲しい。寂しい。悔しい。強い疎外感がどこからくるのか。楽曲だけを愛でることに満足できないのはなぜか。もやもやしながら考えた結論。

 

オザケンはわたしにとってリア恋枠だ!!!

 

リア恋枠とはジャニオタ用語で「リアルに恋したい人」という意味。もしくは「リアルに出会ったら恋したであろう人」という意味。「担当」とはちょっと違う。わかりやすく言うと「付き合いたい!」ってことかしら。
まさにオザケンはわたしにとって「リア恋枠」だ!付き合いたい、オザケン付き合いたいよ!当時のオザケンと付き合いたいのか今のオザケンと付き合いたいのかはたまたオザケンの才能と付き合いたいのか、対象はよくわからない。もはやオザケンという概念と付き合いたい気がする。オザケンイデア。付き合いたい、っていうか、きゅんってする。すき。すきだ。ラジオで恋人の話とかしないでほしい。わたしの知らない人の名前を楽しそうに出さないでほしい。満たされない独占欲、これこそがリア恋枠。
わたしは近所に住む年上のお兄ちゃんに恋している気持ちでオザケンをみている気がする。学校ではわたしの知らない友達がいて、わたしの知らないひとと遊んでいて、わたしの知らないことをいっぱい知っている。わたしには見せたことがない顔がいっぱいあるんでしょう?それがとてつもなくさみしい。これ、わかる?
ていうか散々才能がどうとか、旋律がどうとか、歌詞がどうとか言っていたけれど、結局わたしがいちばん惹かれているオザケンの部分は「王子様であること」な気がしてきた。わかりやすくキラキラしているんだもん。わたしは仔猫ちゃんになったつもりでオザケンをみているのだ。なんとまぁミーハーで軽卒だこと。

 

オザケンをリア恋枠にセグメントしたことはとてもすんなり腑に落ちた。もやもやは奇麗に晴れた。そしてAmazonで超LIFEをポチった。なぜか。

 

購入という行為には大きく3つあると思っている。
まず純粋にそのものがすきなこと。まぁそのとおり。いい曲だなと思って買う、っていうやつ。でも実際これはあんまりないんじゃないかなって思う。単に「いい」と思うものを買わなくてはいけない強い動悸になりにくいのではないか。YouTubeでもレンタルでも手に入れる方法はいっぱいある。
ふたつめは応援の意味をこめて。つぶれてほしくないお店には通わなくてはいけない。活動してほしいアーティストのCDは買わなくてはいけない。池上彰も買物は投票行動だって言ってた。
みっつめはコレクターとして。所有欲をみたすための購入。物語を完全にするための購入。
わたしがジャニーズのDVDやCDを買うのはふたつめとみっつめの意味合いが強い。キンモクセイはふたつめだ。じゃあオザケンはどれなんだろう?ってずっと思っていた。応援の意味をこめるほど彼はもう活動をしていない。コレクターとして消費する資格はわたしにはない。オザケンのものを買う意味ってなんだ?わたしそこまでオザケンすきだったっけか?って思っていた。が、リア恋枠ならしょうがない!だってすきなんだもの!わかりやすく、そう、王子様としてすきなんだもの!!!それならば、手に入れられるものは手に入れなくては。文化を知ることは無理かもしれない。そんな資格は永遠に得られないだろう。でも、すきという気持ちに嘘はない。わたしとオザケンの物語はここから始められることができる。それならば、オザケンDVDを買うことに意味はある!!

 

わかったようなわからないような理論でわたしはオザケンのDVDをポチった。
もっと簡単にいえば、サブカルと東京へのコンプレックスがあったんだと思う。それをリア恋という形で乗り越えることができたんだと思う。
それがわかっただけでも収穫だった。

 

 

もっとちゃんと言いたいことあったんだけど、長くなったわりにうまく書けなかった。また随時加筆修正してまとめなおしたい。(備忘録)

 

 

オザケンもはっておきますね。


小沢健二 :紅白 ラブリー - YouTube